種をつなぐ。人をつなぐ。命をつなぐ。農的な暮らしの中で目指す、本物の地産地消。

いちUターン者として、移住してよかったことは何か?と聞かれることがよくあります。

たくさんありますが、その最たる例の一つが「食の安全と充実」。田舎で暮らしていると、近所のおじいちゃん・おばあちゃんが手塩にかけて育てた野菜をいただいたり、その土地の農家さんが直売所に届けたものを安く買い求めることができたりするので、安心・安全な食を低コストで手に入れられるというのは、田舎暮らしのメリットとしてよく語られていますね。

「食べることは、生きること」。身体は食べたもので作られるからこそ、口にするものはできるかぎり安心・安全なものにこだわりたい。そう願い実際に行動する人は、日増しに増えていっているように感じます。

だいたいのインタビューではそのような回答をすると「なるほど!」となって終わってしまうのですが、果たして「低コストで安心・安全な食が手に入る」ということだけが、このまちで暮らす魅力と言い切ってしまって良いのだろうか?
長い間この問いに対して悶々としてきました。

答えはもちろん、「それだけではない」このまちには「安心・安全である」以上の豊かさがある、そんな話をお届けしたいと思います。

今日は、私がもっとも「移住(Uターン)してよかった」「このまちに腰を据えて生きていこう」と思ったきっかけになった方に、満を持してのインタビューをさせていただきました。

\この人に聞きました/

羽野幸(はの・さち)さん 

静岡県富士市生まれ。都留文科大学文学部社会学科卒業後、静岡県内で小売業に従事したのち、2010年に都留移住。約2年の研修を経て、2012年4月専業農家として独立。市内の田畑を借り受け、年間約50種類もの野菜を農薬や化学肥料を使用せず育てている。野菜は直接販売のほか、市内スーパーでの販売、飲食店や自然食品店への出荷も行なっている。毎年恒例で行っている田植え・稲刈りや餅つき・味噌作りのワークショップには都留市民だけでなく県外在住者も家族で訪れ、農的な暮らしを通じて人と人とがつながる場づくりにも貢献している。

 

聞き手:奈良美緒(都留市地域おこし協力隊)

 

ー今日はよろしくお願いします。はのちゃんと出会って4年目だけど、あらためてこうしてお話を聞かせてもらうのは初めてなので楽しみです!

 

なんだか緊張する(笑)お手柔らかにお願いします…!

 

ー了解しました(笑) それじゃあさっそく。ずっと前から、農家として、今のような自然とつながる暮らしをしたい!とかっていう願望とか憧れはやっぱりあったのかな?


いや、実はそもそも「農家になる」ということに対してはそこまでこだわりはなかったんだよね。

高校までは静岡の実家で育って、都留文科大学に入学して。4年生になる頃には、一度は就職するけどまた都留に戻ってきて暮らそう、ということだけは決めていたんだ。3年半会社員をして、都留に戻ってきた当初は、仕事も決まっていなかったの。

でも、家庭菜園を会社員のころからずっとやっていて、都留でも(家庭菜園を)はじめたことを肥料屋さんに話したら、市内の農家さんのアルバイトを紹介してくれて。最初はそこで働いていたんだけど、縁あって県の農業研修を受けられることになって、約2年の研修期間を終えて農家として独立しました。

 

ー初っ端から初耳…!てっきり就職して仕事する中で、都留に帰ろう、農家になろうって思って移住したのかと思ってた。

いやいや。もともとは、農家民宿とか、人の集まる場作りをしたいって思っていて。
安曇野にある農家民宿に泊まった時に、自分も農的な暮らしをしながらこういう場所を作りたい!って思ったのがきっかけだったんだよね。で、農家民宿やるってことは、農家にならないと…!みたいな(笑)。

いまでは結果的に、ただ野菜を作って販売するだけじゃなくて、田植え稲刈りやワークショップにいろんな人が来てくれたり、お手伝いに来てくれた人たち同士がその場で仲良くなっていたり、市内のパン屋さんたちと一緒に小麦を育ててみたり、畑にピクニックや歌の練習をしに来る人たちが現れたり(笑)、少しずつだけど、そういうみんなの集まる「場」みたいなものが畑きっかけで生まれているような気がする。

毎年恒例で行われている田植え。2017年の集合写真

 

ーたしかに。「都留を訪れる人たちにとっての第二のふるさとにしたい」という思いは、はのちゃんも私も同じだね、っていつも話してるもんね。ちなみに、「都留で暮らそう」って思うようになったきっかけはなんだったの?

大学で過ごした4年間、かっこいい生き方をしている大人たちに出会えたことがすごく大きかったよ。当時ゼミの先生だった今泉教授の生き方には影響を受けたなぁ。

あと4年生のとき1年間、宝の山ふれあいの里でインターンシップをしていて、学芸員さんと地元の人たちとの出会いが、都留に暮らしたいと思うきっかけになりました。

地域の人たちは「生きる力」を持ち合わせている。自分もこれからどんな仕事をするにせよ、人生の先輩について自分もその「生きる力」を身に付けたい。そんな風に思うようになったことが大きかったと思う。

 

移住当初羽野さんが住んでいた家の大家さん。地域の人たちからも「BOSS(ボス)」という愛称で親しまれている

 

ーそうだったんだ…!たしかにはのちゃんの周りには、なんでもできるスーパーおじいちゃんがついてくれてる印象。そしてみんな、はのちゃんのこと本当の孫みたいに大切にしてくれてるよね。

わたし、独立45日目に、農作業中に大怪我をしたんだ。田んぼに水を入れるための取水口を掃除していたとき、側溝の蓋に腕を挟んでしまって。3度も手術が必要な重症で、一度は、左腕の機能を失うかもしれない、というようなこともあったの。けれど、手術は成功して、たくさんの人の支えのおかげで今こうして都留で田んぼ畑をやっていられる。都留のお父さんお母さんみたいになっている大家さんからは、「あの時、羽野さんはもう戻ってこないんじゃないかって実は思っていたんだよね」と、あとから聞きました。当の私にはそんな選択肢はまったくなかったけどね(笑)。

独立して間もない時だったから、なんでも自分でやらなきゃ!と気を張っていたりもしたのだけど、しょっぱなから人に頼らなきゃやっていけない状態になって。でもそのおかげで、「人に頼る」ということのハードルは一気に下げられたかも。研修先の師匠、大家さん、近くの畑のおじいちゃん、移住者仲間、みんなが助けてくれて、今がある。こうして毎日畑で過ごせることが、決して当たり前のことじゃないんだなというのを日々噛み締めています。

 

先日亡くなられてしまった畑が近所のおじいさんとの思い出の一枚。

 

ー私ははのちゃんの大大大ファンで、田植え稲刈り、ワークショップ、畑のお手伝いにも行かせてもらってるけど、何がこんなに私やみんなを惹きつけるのかが、少しわかった気がする。はのちゃんの作る場には、想いがこもってるんだよね。だから野菜もみずみずしくて美味しいのは当然だと思うし、来た人たちみんなすごい良い顔になって帰って行くのも頷ける。これからもきっとこういう場をつくり続けていくのだと思うけど、加えて、展望とか、これからチャレンジしていこうと思っていることとかってあったりしますか?

持続可能な形で、というのを念頭に置いているから、そこまで派手なチャレンジとかはないのだけれど。。。

  • 種を継いでいく
  • 持続可能な、地球環境に優しいやり方で作物を育てる
  • 人との繋がりを大事にする
  • 訪れたり出会った人が、都留を第二のふるさとと思ってもらいたい
  • 自分が納得できる選択をし続ける

この5つはこだわりというか、これからも大切にしていきたいことかな。

 

ーおおっ!なんかすっごくはのちゃんらしいなって思った。一つ一つ詳しく聞いていってもいいかな?


もちろん!まず「種を継いでいく」ということについて。

現在、種として販売されているほとんどがF1(エフワン)という種類なのは知ってるかな?

ーうん、前に勉強した!F1の種から育つ作物は、大きくて、たくさん収穫できて、そろった形の野菜ができるように改良されているんだよね。でもF1で育った野菜の種を自家採種してまいても、同じような野菜が取れるとは限らない。

そう。なので、一部F1の種も使用していますが、基本的には固定種を使用し、できる範囲で種取り(自家採種)をしながら、都留の土地にあったものを増やしています。ちなみに去年は40種類ほどの野菜を固定種で育てました。

トマト一部・カボチャ・しまオクラ・ピーマン・いんげん・ズッキーニ・大豆・サトイモ・ジャガイモ・米・バジル・ネギ・赤シソ・ししとう・なす・人参・春菊・唐辛子・ツルムラサキ・葉しょうが・のらぼう菜・青しそ・わさび菜・ルッコラ・グリーンマスタード・からしな・玉レタス・リーフレタス・水菜・壬生菜・大根・カブ・赤カブ・紅芯大根・まくわうり・キャベツ一部、小麦(ゆきちから)、ビーツ、小松菜一部、二十日大根

 

ーこんなにたくさん…!種取り、私も前友達と畑やっていた時にチャレンジしてみたけどかなり大変だよね。それでも固定種にこだわる理由って、はのちゃんにとってどんなところなのかな?

 

都留の気候や土地に合った種を、次の世代に残したいっていう思いが大きいかも。
自分の仕事を通して次の世代に何を残せるか、って考えた時に、都留市ないしはもう少し範囲を広げて山梨県内で、この土地の気候に合った形で代々自然に受け継がれて来た種を、自分も受け継いで繋いでいきたいなと考えているよ。いまはもう亡くなった、おばあちゃんに分けてもらった種を育ててたりもするし。

本来であれば、野菜の実がなって、種になるまでが自然な流れのはずなんだけど、私たち人間はその途中のところで自分たちの都合で収穫したり、収穫期がすぎると次に別の作物をそこで作るために畑を片付けたりとかしているじゃない。種をとるとなったら、畑の作業的に種を取るための株を残しておかないとならないから、端っこにしておきたいけど、種は良い株からとりたいからそういうわけにもいかないしね。

あとは追熟する過程でカビが生えてしまったり、ものによって種取りをする場合その工程・タイミングが違ったりもするし、大規模なところだとそんな非効率なこと、とてもやっていられない。だからF1の種に頼ることになるし、私も全部が全部固定種で種取りして育てるのは非現実的だってわかってもいるけど、なるたけ自然に近い形で、次世代に残していけることを、できる範囲でやっていきたいなと思っているよ。

採取した種はひとつひとつ大切に保管している

 

ーなるほど…。次に「持続可能な、地球環境に優しいやり方で作物を育てる」というところはどうでしょう。

いちばん大切にしているのは「観察と感察」。野菜と向き合って、一番良いタイミングで、育っていく上でのベストなお手伝いをすることです。

ーなんだか人を育てるのにも似ている感じがするね。

そうかもしれない。例えば春先の苗づくりでは、数えきれない苗を育てるのだけど。まだ気温が低い都留では、ハウスの中にさらにトンネルをつくります。朝、暖かくなってきたら、トンネルのビニールを外してあげます。そして、きめの細かいシャワーヘッドで、層を重ねるように水をあげます。夕方になって気温が下がると、ビニールをかけます。夜には、さらに毛布もかけます。曇りの日は、トンネルをかけたままにしたり、暑さによってハウスの開ける加減を調節したりします。

畑に植える1週間前からは、ハウスの外に苗を出して外の気温にならしていきます。外の苗に、虫がつかないように、目の細かいネットでトンネルをつくります。夜の気温が下がる期間は、ビニルをかけて冷えを防ぎます。これが1月下旬から6月にかけて毎日行う仕事のひとつ。

ーこれを毎日、だもんね。やっぱり育児と似てる(笑)思い通りにならなくてイライラすることとかないの?(笑)

イライラはしないかな。でも、やきもきはするかも(笑)
野菜が思うように育たないことに対してというよりも、天候に対してやきもきすることはしょっちゅうあるよ。でも、自分ではどうにもできないことだから。その時自分にできる最大限のことをするしかないよね。

思い通りにならないっていうところでいうと、イライラというよりは、「がっかり」とか「悲しい」っていう気持ちに出くわすことの方が多いかも。収穫間近に大雪や台風で野菜が全滅しちゃうこととかもあったし、ネットの中に虫が入っていて野菜を食べられてしまったり、芽が出たのに霜に当たって種まきをし直さなきゃならなくなったり。心が折れそうになることはたくさんあるよね。

野菜の育ちに対して、私たち人間ができるのは育つための環境を整えること位しかないから。最大限やれることをやろう、とはしているけど。でも起きたことに対して、心が追いついていかないこともあるなあ。

2016年の秋。都留市で11月に積雪があったのは1962年以来のことだった

 

ーあああ、すごくわかる…ちなみにはのちゃんは心が折れそうになったとき、どうやって回復してる?


う〜ん、やっぱり時間が解決してくれることが多いにあるよね。

あとは、その時のことをはのさんちだよりに書いてる。書くことが自分にとって癒しというか、よりどころになっているところはあるかもしれないな。

あとはならちゃんもよく来てくれるけど、友達とか仲間と一緒にごはん食べて、早く寝ることかなぁ。みんなでごはんを食べるとかって、やっぱりいいよね。

野菜も、赤ちゃんも、自分の気持ちをしゃべってはくれないけど、何してほしいか見ているとなんとなくわかるような気がするのは一緒かもね。私はまだまだだけど。そうなれるようになりたいなぁ。

 

−人との繋がりを大事にする。訪れたり出会った人が、都留を第二のふるさとと思ってもらいたい。そして、自分が納得できる選択をし続ける。この3つはもう前半でかなり聞けたかなと思っていて。あとはそうそう、新しく「地産地消」の取り組みにも今年はより力を入れていく予定なんだよね。

そうなの。思いとしては、「地産地消を広げたい」というところがあって。私の中では「仲間産仲間消」と言ってもいいような気もしているのだけど。

要するに、地域の中で経済を循環させたい、顔の見える関係性の中でやりとりしたいっていう気持ちが強くなってきていて。育てた農産物を畑に取りに来て、どんな風に作っているのか見てもらえたらうれしいし、買う人の側も、自宅から近い場所で、野菜の受け取りができたら便利だなと思って。

「持続可能な形で」というところにも繋がると思うのだけど、一人で野菜を育てて、収穫して、配達するのって、実際とても難しい。

ーそりゃそうだ。はのちゃんいつも夏場すんごい早起きだし、日中暑い中重労働で、体調が心配。。お手伝いももちろんだけど、もっと何か手伝えることないの?

ありがとう。それでこの間、野菜をおかせて下さるサポーターさんとして、ならちゃんの仕事場 teraco. にお願いできないか相談させてもらったんだよね。

ーそっか、そう繋がるわけね!はのちゃんの時間の節約にもなるし、野菜を通して人と人との交流も生まれる可能性があるし、みんなハッピーになれる名案だよね!

そう思ってもらえて嬉しい。まずは私からはじめてみて、ゆくゆくは、販売する農家さん、置かせてくれるサポーターさんの輪が、広がっていったらいいなあと思ってるんだよね。

ーうんうん。なんか「地産地消」とか「顔の見える野菜」とかって、言葉だけが一人歩きしているような感じがしていて。都会で暮らしていると、無農薬や有機栽培の野菜ってそれだけで高いし、その理由は遠くから運んでくるから輸送コストがかかっているのと、「なんとなく安心」っていうブランド感みたいなものがそうさせていると思うんだよね。その点こうして田舎に住んでいると、野菜が無農薬とか自然に近い形で栽培されていることのほうが普通で、その日に採れた新鮮なものを、都会ではあり得ない安価で食卓に迎えることができる。これは田舎に暮らす大きなメリットの一つだと思っていて。

それだけではなくて、私たち都留で暮らす人たちは、こうしてはのちゃんみたいな思いと愛情を持った農家さんと直接つながれて、コミュニケーションをとりながら野菜を購入させてもらえる。「食べることは生きること」ってよくいうけど、命をつくる食べ物だからこそ、ほんとうに信頼できる人から買える喜びってお金以上の価値があると思うんだ。…って私がインタビュアーなのにめっちゃ喋っちゃった!ごめん!(笑)

 

あはは、そんな風に言ってもらえると嬉しいよ〜。
でもきっと、都留だけじゃなくて、どんな町にもそういう人はきっといると思うんだよね。それぞれが住んでいるところで、そういう繋がりを見つけて暮らしていけたら、より豊かさがますのかもしれないなぁって。

この記事を読んでくれる人たちの中には「自分の今住んでいる場所には何もない」って思ってる人もいるかもしれないけど、見つけようによっては、今いるまちにもそういう人に出会える機会ってきっとあるはずなんだよね。都留に素敵な人がたくさんいるみたいに。

私も都留で暮らし始めて10年経とうとしているけど、毎年毎年いろんな出会いがあって本当に楽しいし、充実した毎日が過ごせているなと思うよ。その出会いの中で、都留の外からやって来た人たちが、自分の町にもこういう繋がりや素敵な人はきっといる、ってことに気づいて、自分の今いる場所のことをもっと好きになれたりしたらいいよね。

私にとって、羽野さんとの出会いがまさにそれだった

 

ーたしかに。それに気づくきっかけの場所こそが「第2のふるさと」と呼ばれるにふさわしいのかもしれないな。はのちゃんと一緒に、都留を訪れる人の「第2のふるさと」にしようと色々取り組んでいられることに、改めて嬉しい気持ちが湧いてきた。今日はほんとうにありがとう!これからもよろしくね!

 

こちらこそ!またいつでも、畑でまってるよ!

 

***

 

はのさちさんのインタビューを書く、ということは、2年以上前からの私の夢?目標?希望?のようなものでした。このメディア「つるぐらし」を立ち上げると決めたとき、はのさんの記事だけは絶対に外せない!と思っていて。今回こうしてようやくこの記事を世に出せる日が来たことが、なんだか本当にうれしいです。

 

血も繋がっていない赤の他人であるはずなのに、家族同然にお互いの嬉しかったことを喜び合ったり、辛いことや大変なことに出くわしたら助け合ったりが自然にできてしまうこの関係性を結べる人というのは、一生のうちそこまで多くはないかもしれません。それでも、そういう人がこうして同じまちで共に生きているということは、何にも代え難い喜びというか、それこそ「豊かさ」なのかなぁとも改めて感じるインタビューでした。はのちゃん、いつもありがとう。

はのさちさんの作る野菜を食べてみたい!はのさんちのワークショップや畑のお手伝いに参加してみたい!という方は、以下のホームページからお問い合わせをぜひ。

 

■はのさち自然農園ホームページ

https://sachihano.jimdofree.com/

 

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